2016年9月26日、勝連城跡からローマ帝国の貨幣が出土しました!
日本史では室町時代にあたる15世紀に最盛期を迎える勝連城主阿麻和利の時代、東南アジアを中心に貿易を行っていた。その前後の歴史には、まだ謎も多いが、その勝連城から3世紀から4世紀のローマ帝国の貨幣と、1669年から1679年にかけて製造されたオスマン帝国の貨幣が出土。ヨーロッパとの交易があったのか、それとも東南アジアとの交易の結果、入ってきたものなのか、いずれにしても琉球王国を中継して日本本土に入ってきた技術なども多く、歴史上、重要な立場を担っていたことが良くわかります。
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それでは、沖縄の9つの世界遺産の1つ「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の中から「勝連城」を詳しく案内しましょう。
首里城や今帰仁城跡などもそうですが、勝連城跡(かつれんじょうあと)もそのひとつで、沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃と伝えられています。
沖縄本島の中北部、中城湾と金武湾に挟まれた勝連半島の付け根の丘陵に位置し、高低差を活かした城づくりが特徴の城で、堅固な城壁と、防御に徹底して設計された作りから『鉄壁の城塞』としても知られています。
10代にわたり按司(あじ)と呼ばれる地域の首長によって治められてきましたが、10代の城主、阿麻和利(あまわり)の治世が最盛期で、地の利を活かした中継貿易で経済力と軍事力を持ち、琉球統一をめざし国王の居城である首里城を攻めたが落城して滅びたそうだ。
勝連城跡は小高い山の上にあり、周囲に高地がないため、南は中城湾、東には海中道路が見え、360度のパノラマが望めます。
勝連城跡は「曲輪(くるわ)」と呼ばれる区画から出来ていて、
「四の曲輪」→「三の曲輪」→「二の曲輪」→「一の曲輪」と進むにつれて、だんだんと標高が高くなっていきます。
まずは「三の曲輪」に上がるためにこの傾斜がきつく、右から旋回するように長い階段を上らねばなりません。
この階段が『鉄壁の城塞・勝連城』第一の関門、敵が攻めてきた時のため、わざと上りにくい階段を用意し、城壁の上からも攻撃できるように設計されているというのです。
はぁ、はぁ、息を切らせながら階段を上ると、「三の曲輪」そして「二の曲輪」があります。
これらの曲輪には、阿麻和利をまつる肝高の御嶽(うたき)の他、城内では様々な場所で御嶽を見ることができます。
つまり城塞としてだけでなく、神様を祀る神聖な場所だったのでしょう。
また「二の曲輪」には、当時の建築様式のなごりである礎石を見ることができます。
ここには今でいう役所のような役割を持った「殿舎(でんしゃ)」と呼ばれる建物が建っていたと考えられていて、整列している石の上に、柱が立っていたということですね。
さらにだんだん細くなっていく階段を上ると「一の曲輪」。これも一度に攻めてくる数が減るような設計になっています。
北は自然豊かなうるま市、南は神の島「久高島」。
ここは御獄になっていますが、実は抜け穴になっていて、有事の際の避難路だったらしいです。
より詳しく勝連城跡を知りたい人は有料のガイドをお願いすることも可能です。
ガイドは1人からでも予約することができ、料金は1人1,000円~で。人数が多いほどおトク(※保護者同伴の中学生未満は無料)。
なお1週間前までの予約が必要とのこと。
今回は、勝連城跡ポータルサイトではスマートフォンやタブレットを使って、城内の案内板と連動した音声ガイドを利用することが出来る。使い方は簡単。サイトを開き、各スポットの前でスポット名を押すだけで音声ガイドがはじまるよ!
■観覧時間:特になし(※夜間の見学は暗いので足元注意)
■休園日:年中無休
■駐車場:あり(無料)
■観覧料:無料
■その他:駐車場横に、案内所・売店・トイレあり
■住所:沖縄県うるま市勝連南風原3908
■TEL:098-978-7373