今帰仁城(なきじんじょう)は、14世紀、琉球に三大勢力が割拠したグスク時代、北山王の居城で北山(ほくざん)の拠城だったところ。外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名城です。1月中旬から2月初めまでは、緋寒桜(ヒカンザクラ)がきれいに咲くことでも有名な城跡です。
今帰仁城には、ボランティアガイドの方が常駐しており、希望者には無料でガイドしてくれます。常時2~3名のガイドさんがいて約50分間のガイドを無料でしてくれるという、嬉しいサービス。
この日は、10年以上、今帰仁城のガイドをされている宍戸秀雄さんにご案内していただいきました。宍戸さんは、宮城県のご出身で、埼玉県で40年過ごし、その後、奥様の出身地である今帰仁に移住されました。沖縄のヒーロー「琉神マブヤー」や映画「サウスバンド」など、今帰仁で行われた撮影にも出演されています。
写真をよ~く見ると、猫ちゃんガイドもいますよ(笑)わかりますか?
1713年に編集された「琉球国由来記」には、「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」と記載され登場。さらに1742年に描かれた「今帰仁旧城図」の史料には、この場所が「本門」として記載。2つの史料からも「平郎門」は、今帰仁城の重要な門ということが分かります。
琉球には、このようなグスク(城)が283もあり、グスクを根城にして、按司(あじ)と呼ばれる権力者が勢力を拡大していきます。その中でも今帰仁城は最大級の規模を誇っており、城主は按司の中で、最も力があったとされています。
写真は、今帰仁城の1/100模型。今帰仁城は、曲線の城壁を1.5キロメートルもつなげて築いた百曲がりの城壁があり、歴史的価値が認められ世界遺産にも登録されています。
今帰仁城に使われてる石は、山から採れる石を利用していて、この石が使われている城は今帰仁城だけらしいとのこと。今帰仁城、座喜味城、勝連城、首里城の石の違いがここでわかります。
この石は「古生代石灰岩」と呼ばれ、硬くて刃が立たないので、加工せずにそのまま積み上げていくしかなく、「野面積み」といわれ最も古い造り方です。
ちなみに今帰仁城以外の城では、琉球石灰岩が使われ、柔らかいので加工して組んでいくことができるそうです。
平郎門をくぐると、石畳のまっすぐな道が通っていて、これが1960年代に整備された「七五三の階段」と呼ばれる参道。1月中旬から2月上旬の桜の季節には、緋寒桜の並木道になります。そして、途中右手側の足場が悪い方が旧道で、本来の登城道です。
せっかくなので、旧道を歩いてみました。旧道は、大きな岩盤の谷間を利用して道幅を狭く造り、敵兵が攻め入っても大勢の兵隊が上の廓まで一気に入れないように工夫されています。ガイドの宍戸さんは草花にも詳しく、草のにおいを嗅いだりしながら場内を案内してくれました。階段を上り終わると広い庭があり、そこが大庭と言われるところ。
九年母(くねんぼ)とはシークワーサーのことですね。琉球の歌は、八、八、八、六で謳われます。
そして北殿跡の北側、一番高いところは御内原(おうちばら)と呼ばれ、女官部屋があったと言われています。御内原(おうちばら)とは、つまり大奥のこと。首里城にも同様の御内原があり、首里城開園から26年経った2019年2月1日。謎のベールに包まれた琉球王家のプライベート空間「御内原(おうちばら)」エリアがついに一般公開されました。
住所:沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101 営業時間:8:00~18:00(最終入場) 年中無休