沖縄に行くといろいろなところで出迎えてくれる「シーサー」。空港、城門、橋、通り… ちょっと気になりますよね。このシーサーを詳しく調べてみましょう!まち歩きではスローツアーのガイド高野さんと歩いている時に、いろいろと教わった中から、「シーサー」に注目しました。
答えは「獅子」(ライオン)です。では、どこから伝わってきたのでしょうか?
紀元前6000年頃、エジプトやインドでは強さの象徴として、ライオンの石像が作られていました。それがシルクロードを経て、中国に伝わり、ちょうど琉球王国の交易が盛んだった時代の15世紀頃、伝わってきたそうです。
エジプトでは「スフィンクス」、シンガポールでは「マーライオン」などは同じ流れでしょう。あともう一つ、日本には同じ流れを汲むものがあります。それは「狛犬(こまいぬ)」です。狛犬は中国唐の時代に、朝鮮半島を経て、仏教とともに日本に入ってきたため、高麗(こま)から狛犬になったのでしょう。
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ゆいレール牧志駅前にある「さいおん・うふシーサー」。このシーサーは壺屋焼きで作られた巨大なシーサーで、高さ3.4m、重さ約3トンもの大きさを誇ります。壺屋の陶工達が約5ヶ月かけて作成した「うふシーサー」の「うふ」とは沖縄の方言で「大きい」という意味。
ちなみに壺屋にも「壺屋うふシーサー」があり、「さいおんうふシーサー」とは兄弟(笑)こちらのシーサーは、定期的に口から水煙を吐くので子供達に大人気です。シーサー横の案内板のボタンを押すと、沖縄方言で音声案内が流れます。
お次は首里城勧会門のシーサーを見てみましょう。わかりやすいように2つの写真を貼り合わせていますが、実際は門を挟んで左右に鎮座しています。
左右にある点では、シーサーも狛犬と同じ。通常シーサーは、口を開けているシーサーがオスで、向かって右側に置かれています。開いた口から「福」を招き入れると言われています。そして口を閉じたシーサーがメスで、向かって左側に置かれ、しっかろと閉じた口は「災難」を家に入れないと言われています。が・・・首里城勧会門のシーサーは、両方とも口を開けているのです(笑)こういう例外もあるのですね!
沖縄でシーサーは、家の守り神・魔除けの役目をはたしていて、沖縄県民の多くの屋根の上や門柱などに設置されています。
シーサーにも個性があります。
街中をほんの少し歩いただけでも、いろいろなタイプのシーサーを見る事ができます。本来、赤瓦屋根は、ある程度格式の高い家が作ることができたとされており、屋根の上にシーサーが置かれるようになったのは19世紀頃。屋根瓦職人が、余った漆喰を使って「除災招福」を願い、おまけで作っていたそうです。だから職人の個性が出るのでしょう。
手前のねこちゃんがシーサーのようです。なんかほのぼのしますね。
壺屋で見つけた不思議なシーサー。ガイドのおきなわスローツアー高野純一さんです。
ちなみにこのシーサーは、残波岬公園にある沖縄で一番大きいといわれている「残波大獅子」です。全高はナント7m。しかし実はこの巨大シーサー、本来の「守り神」として作られた訳ではないそうです。
かつて沖縄が琉球王国だった時代にさかのぼります。その時代、中山王の命を受けた泰期(たいき)という人物が、琉球から中国へ派遣される初の進貢使(しんこうし)として琉球王朝と中国の交易を始め、琉球王国の発展に大変貢献した。この人物が読谷村出身であることから、商売の神様として崇められ残波岬には銅像が建てられています。
そしてこの「残波大獅子」も、琉球王朝時代の読谷村の中国との国交文化を後世に伝えるために製作されました。なのでこのシーサーは中国大陸の方向にまっすぐ向いており、シーサーのすぐそばにある石碑には「夢を語れ!ロマンを抱け!人々のしあわせ・平和のために!!」と刻まれているのです!
さていかかでしたか?シーサーの見方が少し変わったでしょうか。ガイドについて教わると、何気なくあったものが、その背景がわかってきて面白くなってきますね。
沖縄各地を取材した豊富な知識と経験を生かし、ガイド&イラストレーターとして各地の観光協会や雑誌、新聞等で活躍。
ガイドブックには載っていない沖縄を紹介しています。
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