沖縄県中頭郡にある世界遺産の中城城跡の隣で、1972年5月の日本復帰から数カ月だけ営業したという幻の「中城高原ホテル」が、県営中城公園として生まれ変わる事になりました。ホテルは長年立ち入り禁止になっていましたが、解体前にホテルの全貌が大公開されています。
中城高原ホテル(なかぐすくこうげんホテル)とは。沖縄県中頭郡中城村の中城城跡公園内に開業する予定だったホテル。戸建て風の大小17棟が連なり、展望棟やプール、沖縄初の遊園地やゾウのいる動物園を備え、延べ床面積1万1千平方メートルの巨大施設でした。
なぜこんな立派なホテルが開業して間もなく倒産し、40年もの間、廃墟になったのでしょう。
場所は世界遺産の「中城城跡」の隣。というか敷地内というか。中城城跡からも遠くに「中城高原ホテル」が見えます。
倒産理由については諸説あり、沖縄海洋博の開催が決定した1970年代前半に建設が開始され、同博覧会開催の1975(昭和50)年7月20日に開業予定でしたが、博覧会の開催直前に建設を請けていた企業が倒産し、建設途中のまま工事が中断したと言わる説。
一方で、1972(昭和47)年5月15日の沖縄返還以後、二ヶ月間のみ営業されたとの説もあります。ホテルがオープンして2ヶ月後に中城城跡が文化財に登録され、ホテルにつながる道路が通行できなくなったために閉業したという説。ホテルを建設したのは国際通りの名付け親とも言われる故・高良一(たからはじめ)氏で、今回のホテル取り壊しに踏み切った高良氏の御息女が説明したのは後者でした。
1970年代より40年以上廃墟として放置されていた間には、勝手に住み着いた住人と米軍兵の間でトラブルが発生したこともあったとか。幽霊ホテルと呼ばれた名の通り、廃墟というのは「心霊スポット」と呼ばれる事も多いが、故・高良氏の御息女は、「幽霊ホテルと呼ばれるよりは、地域のために生まれ変わってほしい」との思いから、ホテルの解体に踏み切ったそうです。県営中城公園に生まれ変われば、また多くの観光客が訪れる観光地になることでしょう。今後、周辺の中城城跡や遺跡を生かした歴史体験の場として整備していくそうです。
そして沖縄タイムス社が、廃墟ホテルの解体前に許可を得て、長年立ち入り禁止だった内部の撮影をし、現在サイトで公開されています。中には非公開資料もあるので、ぜひご覧になってみてくださいね!
住所:沖縄県中頭郡北中城村大城503