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戦後泡盛復興の原点、首里の「咲元酒造」

 
ゆいレール首里駅から一番近い泡盛の蔵元「咲元(さきもと)酒造」。ここは首里三箇で「泡盛村」と言ってもいい場所で、首里王府時代、ここの鳥堀町、赤田町、崎山町のみ泡盛づくりが認められていた場所。ここに、咲元酒造、識名酒造、瑞泉酒造が今も残っています。その中から、手作り感満載のこだわりの泡盛づくりを続ける咲元酒造さんに焦点を当ててみましょう!この3つの蔵元+瑞穂酒造はゆいレールの駅から徒歩圏、運転の心配なく試飲が楽しめる場所でもあります。

咲元酒造は、琉球村への移転しました。

沖縄の伝統体験が出来る「琉球村」に泡盛酒造工場完成!咲元酒造の記事はコチラです。

 まずは試飲から!?

何が楽しみって、蔵元巡りには「試飲」です。体験レポーターの青木さなえさん、三線奏者の伊藤淳さんも一緒の今回の取材。蔵の中に入っていくと、最初(ホントは最後)に試飲コーナーがあります。手酌で飲み比べです。

 
一転、まじめな雰囲気で香りをかいで、いろいろな泡盛を比べていきます。特に古酒になると熟成して味がよくなってくるので、この違いが楽しいものですね。
咲元酒造
 
もちろん、販売もしていますが、しっかり飲み比べて好みの泡盛をお土産にしてはいかがでしょうか。

 
古酒や度数違いを楽しむことができます。

 
特に古酒になると香りが立ってきます。こんな飲み方も楽しみの一つです。

 

手作り泡盛

咲元酒造さんは小さな蔵元さんです。もちろん、機械も使っていますが、心のこもった泡盛づくりを行っています。これは三角棚と言って、いわゆる麹棚です。ここで黒麹菌を仕込んでいくので、次第に黒くなってきます。この扉を開けていますが、風、気温などによって開け方の調整をしていきます。

 
佐久本啓社長がかごを担いでいます。三角棚から仕込みタンクへは、このかごで何往復もします。「何回ぐらい往復しますか?」と質問したら、「数えるといやになるだろ」  確かに・・・。

 
各所にチョークで書かれています。気温、湿度等によって、泡盛づくりにも微妙な変化が起きてきます。このあたりが職人技でしょうか。

 

咲元の歴史

「咲元」は「佐久本」の名前をもじってつけられています。隣の瑞泉酒造も「佐久本」さんで、実は親戚です。ところで、この木ですが、何の意味があるでしょうか?奥は母屋になっている咲元酒造さんにあります。

 
泡盛の蔵元も、沖縄戦で壊滅します。泡盛づくりには欠かせない「黒麹菌」の行方もわかりません。ところが、この木を頼りに黒麹菌のあった場所を探し出し、土に埋もれていたニクブク(稲わらのむしろ袋)の中から黒麹菌を発見、他の蔵元さんにも分けて、泡盛が復活していった大事な木なんです。

 
琉球新報の記事です。首里三箇には戦前40を超える酒造所がありました。しかしながら沖縄戦のためすべてが壊滅、当時5つの官営酒造所を作って泡盛づくりを復活させていくのですが、咲元酒造は首里酒造廠として、その一つになっています。金武町伊芸の「崎山酒造廠」が「廠(しょう)」の名前を残していますが、官営だった名残ですね。

 

【咲元酒造】

住所:沖縄県那覇市首里鳥堀町1-25
TEL: 098-884-1404
咲元酒造さんのホームページはこちらです。
 

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徳島県徳島市出身 20代の頃は旅行会社勤務、やがて飲食業に転じ、居酒屋経営。泡盛との出会いから沖縄に通うようになる。沖縄愛は次第に深みにはまり、東京泡盛会を沖縄県酒造組合と開催したり、東京でもいつもかりゆしウエアを着て、生活が沖縄化している。趣味はまち歩きと泡盛。

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