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美空ひばりの歌碑が沖縄に!?那覇がじゃんびら公園

美空ひばりの歌碑が沖縄に!?那覇がじゃんびら公園

昭和の歌姫「美空ひばり」の歌碑が沖縄にあります。那覇軍港やセルラースタジアム那覇などが一望できる高台にあるがじゃんびら公園です。美空ひばりの1500曲以上の中で、唯一沖縄を歌った「花風の港」が流れます。

那覇市内を一望できるがじゃんびら公園

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

がじゃんびら公園の意味は「がじゃん=蚊」「びら=坂」。階段を上って高台にある公園に向かいます。

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

正面に見えるのがセルラースタジアム那覇です。

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

視線を左の方に移すと、那覇軍港や那覇港、那覇の町が広がります。

がじゃんびら公園は広い遊歩道

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

がじゃんびら公園は遊具などはない遊歩道でつながっている1.7㏊の広い公園です。

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

公園西の端にあるこの橋の向こう側に歌碑が見えてきました。

なぜ沖縄に美空ひばり歌碑が!?

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

「花風(はなふう)の港」「愛燦々」の美空ひばりの曲と美空ひばり賛歌がオートサウンドプレーヤーで流れます。取材時は残念ながら、故障していて、ちょうど現場を見に来ていた業者の方が「修理しますからね」と言っていました。

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

「花風の港」は1500以上ある美空ひばりの曲の中で唯一沖縄件と関係があり琉舞の花風をモチーフに歌ったものです。「美空ひばり賛歌」はこの歌碑を建立したシンガーソングライターの石原エミさんが作詞、作曲して歌ったものです。

”太平洋戦争によって焦土と化した沖縄県で戦後の復興のため懸命に立ち上がった多くの人々の心に大きな夢を与え続けたのが、日本の歌姫美空ひばり(1937年~1989年)でした。

平和の使者美空ひばりさんへの恩返しになればという強い思いから、太平洋戦争の真珠湾攻撃の月日と同じ平成9年12月8日に歌碑を建立しました。”(歌碑建立者の石原エミさんによって書かれていました)

美空ひばりの沖縄コンサート

初めての沖縄公演は1956年(昭和31年)8月7日から13日まで、現在の国際通りホテルコレクティブの場所にあった映画館「国映館」で行われました。この時は1日7000人、1週間で50000人というたくさんのお客さんが見に来ました。

本土復帰10周年に当たる1982年(昭和57年)には公演の合間に牧志公設市場、ひめゆりの塔など訪れています。

高射砲台座跡に美空ひばり歌碑がある

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

歌碑の前は日本陸軍第27大隊の高射砲台座跡です。

美空ひばりの歌碑がある那覇市がじゃんびら公園

高射砲台座跡という表示はどこにもありませんでした。平和の使者美空ひばりさんだけに戦争の傷跡は少し忘れておきたいところですね。

がじゃんびら公園(高射砲台座跡)

住所:沖縄県那覇市金城1丁目

駐車場:なし

バス:那覇西高校前バス停より5分

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徳島県徳島市出身 20代の頃は旅行会社勤務、やがて飲食業に転じ、居酒屋経営。泡盛との出会いから沖縄に通うようになる。沖縄愛は次第に深みにはまり、東京泡盛会を沖縄県酒造組合と開催したり、東京でもいつもかりゆしウエアを着て、生活が沖縄化している。趣味はまち歩きと泡盛。

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