名護市、オリオンハッピーパークやガジュマルの木のすぐ近くにある名護博物館。テーマを「名護・やんばるの生活と自然」とし、できる限り、ケースに入れない展示を目指している博物館です。もともと沖縄は長寿県、その要因の一つが食文化。アメリカ占領下においてアメリカ食が広がりましたが、豚や山羊をはじめとする沖縄の食文化から、このテーマを伝えてくれます。
沖縄在来豚の「アグー」に山羊「ヒージャー」たちが現われる。特に「アグー」は、小型で発育が遅いため、外来豚に押されて、しかも、沖縄戦において絶滅したかに見えました。その復活を目指して立ち上がった方がここの初代館長、島袋正敏氏です。島袋さんの紹介は最後にさせていただくことにして、館内に戻りましょう。
アグーは、外国の品種に押されたのも一因だが、沖縄戦によって絶滅寸前まで至った経緯があります。この島袋氏が立ち上がった時、わずか30頭しか確認できず、そのうち18頭を北部農林高校で預かり、頭数を増やしていきました。一時、この名護博物館でも飼育されていたと聞いております。
1階は主に農耕生活を中心に展示されております。昔の沖縄の生活がつぶさに見て取れます。
2階に行くと、イルカや鯨が現われます。
名護の町はかつてピトゥ(イルカ)漁で賑わった町。今では眉をひそめる人がいるが、食文化の人としてこのイルカやクジラを名護では一般的であった。現在でも、スーパーでイルカが売られていたり、食堂でイルカ料理を提供しているところもある。名護を歩いてみるといろいろな「イルカ」に出会うことがあると思う。
博物館前にある「名護親方像」。親方とは役職名で名護市長と思っていただければわかりやすいでしょう。名護親方の程順則 (1663~1734)は、那覇市久米で生まれ、中国福州に渡り学んできます。六諭衍義(りくゆえんぎ)という中国の道徳書を持ち帰り、琉球のみならず将軍吉宗にも伝わり寺子屋の教科書として広まっていきます。琉球では明倫堂という学校創設を行った人です。
一部の紹介にとどめておきますが、この名護博物館で当時の生活が見て取れます。じっくり時間をかけて見ていただくと、より深く沖縄や名護が見えてきて、「沖縄REPEAT」したくなるのではないでしょうか。
初代名護博物館館長、山原島酒之会初代会長、「黙々100年塾 蔓草庵」主宰。蔓草庵の主な活動は、泡盛資料館、モノづくり塾、食文化体験、農業体験、自然・歴史探訪などを目的として創られた「学び」の場。写真はその蔓草庵で撮らせていただいた。泡盛資料館がよくわかります。主な著書:沖縄の豚と山羊―生活の中から―(おきなわ文庫)
泡盛仙人・島袋正敏氏に古酒の奥深さを教えてもらう!の記事はコチラです。
沖縄県名護市東江一丁目8番11号
開館日 : 火曜日~日曜日 午前10時~午後6時
休館日 : 毎週月曜日、祝日(一部除く)、年末年始、ガスくん蒸実施期間、
整理休館日(毎月第4木曜日)、その他展示替え等による臨時休館日