第一回泡盛ストーリー 識名酒造【時雨】前半



★沖縄大好きケコさんレポート

さて今回は泡盛マイスターっぽく泡盛のストーリーを記事にしてみようかなと思います(笑)

泡盛の味はもちろんですが、私はお客様に泡盛や商品を提供する際、そのバックグラウンドにあるストーリーを伝えることにより、お客様にとても喜んで頂けたり興味をもって頂けるという実感があるので、この記事を読んでくださる皆様にも伝わるといいなぁ

ちなみに泡盛という名前の由来には4説ありまして、まず1つ目は【泡説】。泡盛をグラスに注ぐ際に泡立つため泡盛と呼ばれるようになったという説。2つ目は【原料説】。現在はほとんどの泡盛がタイ米を使っていますが、かつては粟でも作られていたため、泡盛となったという説。3つ目は【薩摩説】。薩摩藩が九州の焼酎との区別するために泡盛と名付けたとする説。4つ目は【梵語説】。梵語(サンスクリット語)でお酒を意味する「アワムリ」が転じたという説。私的には1つ目の【泡説】が有力な気がしますが、みなさんはどう思います?

第一回目:首里・識名酒造

識名酒造は1918年創業ですから今年100周年!おめでとうございます。

 

識名酒造には最古の泡盛があることで有名ですが、主要銘柄は【時雨】。まずは時雨という泡盛の名前の由来は、秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱら 通り雨のように降る雨のように、さわやかな飲み口の泡盛をとの思いを込めて「時雨(しぐれ)」と名付けられたそうです。

 

【150年古酒が残る識名酒造】

識名酒造は首里のふもと赤田にある酒造所で、最古の古酒があることで有名です。王家の厳しい管理の下で泡盛造りが許された首里三箇のひとつ。昔の沖縄には100年モノや200年モノの古酒があったのですが、第二次世界大戦の戦禍によりそのほとんどが失われ、現在沖縄で公表されている最も古いといわれている泡盛は、識名酒造の約150年ものの古酒といわれています。

 

戦前首里には約70もの泡盛工場がありました。その中でなぜ識名酒造にだけ古酒が残ったのか?それは識名酒造の先々代が首里に戦火が及びそうになった時、家にあった大切な古酒の入った南蛮がめ3つを庭先に深く埋め南部に逃げました。戦争が終わり首里はかつての面影はなく焼け野原になっていました。そんな中、先々代は何日も何日も庭を掘り続け、3つ埋めたかめのうち奇跡的に2つのかめを探し当てることができました。甕が見つかったその瞬間先々代は「識名家はもう大丈夫だ!」と叫んだそうです。それくらい泡盛を大切にしていたことがわかりますね!命の危険が迫っている中で現在に受け継がれてきた古酒を後世に残したいという強い思いは素晴らしい!。

 

ただこれには裏話がありまして。。。当時、どこの工場も泡盛を地下に作ったタンクに保存していました。例に漏れず識名酒造にも地下にタンクがありました。先々代も地下にある空のタンクに甕を入れようとしましたが、なんと!?タンクの蓋が小さく南蛮かめが入らない!!!!マジか?!焦った先々代は苦肉の策で庭先に埋めたことが功を奏したということです(笑)よかったよかった!

さて次回は第一回泡盛ストーリー 識名酒造【時雨】後半はこちらをご覧ください。

 

【識名酒造】〒903-0813 沖縄県那覇市首里赤田町2丁目48
TEL:098-884-5451/FAX:098-884-5458

識名酒造さんのホームページはこちらです。

【工場見学をご希望の皆様へ】工場の規模、スタッフ数の都合などにより、大人数でのご案内はお受けできないそうです。工場見学は、少人数(2~3人)でお申し込みください。また、工場へお越しの際には、上記TELへ事前にお問合せくださいませ。

文、写真:沖縄大好きケコさん



沖縄大好き ケコ

「てぃーだかんかんブログ おきなわラブな人たちのためのブログ」インスタグラムなどで、沖縄大好きを発信中! 2016年、泡盛マイスターの資格を取り、国際通り屋台村 「島酒と肴(しまぁとあて)」でその実力を発揮、FM那覇にて居酒屋風ラヂオ「イザラジ」のパーソナリティを務める。Sunking Leather Craft代表。福岡県出身。

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