初詣は旧正月(2月1日)までにしようと、3が日は避けて琉球八社の一つ「識名宮」を参拝してきました。首里城から那覇港に続く琉球王朝時代の真珠道(まだまみち)を歩きながら、識名宮へ。繁多川の町会では歴史的な要所に解説看板を設置しているので、いろいろ発見もあって楽しかったです。
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琉球王朝時代から、琉球八社の一つと言われた識名宮。
創建は尚元王(在位1556~1572年)の時代と言われ、長男具志川王子朝通の病気回復を願い、この識名宮と隣接していた神応寺を建てたと言われます。琉球王府の篤い信仰を受け、尚賢王代の1644年から毎年1月、5月、9月の吉日に国王の参詣が始まりました。
本堂にお供えされている物は沖縄らしく「泡盛」ですね。
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駐車場はすぐ脇に2台分だけです。
住所:那覇市繁多川四丁目1-43
識名宮と同じ頃に創建された神応寺は、すぐ隣にあります。沖縄戦により建物は破壊され、その後復元されることなく、公民館となっています。しかし、写真にある琉球石灰岩で出来た石垣と石段は、琉球王朝時代の16世紀後半の構造物で、この石段の先に神応寺がありました。
これは、繁多川に残る繁多川字指定文化財「ンムドーニー」。琉球石灰岩で出来ていて、内径52cm、外径69cm、高さ30cmあります。収穫した芋を洗う物で、水を入れて足で踏み洗いしました。
こちらは「トゥーシヌミー」。この形なんだと思います?
実は便器なのです。人がこの上にしゃがんで用を足し、傾斜に沿って便が豚小屋に流れていく仕掛けになっています。
首里金城町の石畳から続く真珠道です。
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真珠道(まだまみち)は、首里城守礼門近くから金城町の石畳(写真)や真玉橋(まだんばし)を経て、那覇港南岸に至る約9kmの軍用道路でした。
金城橋から坂道を上がっていきます。
真珠道の一部で「メーミチー(前道)」。軍事用道路でしたが、琉球王朝の迎賓館「識名園」へと続く道でもあり、琉球王が通った道なのです。
この歩道に埋め込まれている琉球石灰岩は、約130個あって、2018年4月の那覇市道路改良工事中に見つかった約500年前の真珠道の一部です。1522年、尚真王時代に完成。
坂の上にあるのも関わらず、水が豊富な繁多川地区。「ハンタガー」は元々、ハンタ(端)にある井泉(せいせん)を意味したと言われています。
井泉がたくさんあると、水が必要な泡盛工場や、豆腐加工場などができます。写真は、現在はうるま市に移転した神村酒造あとです。この石垣塀は、上が丸みがある作りになっていますが、泡盛酒造所独特の石積みで「ボーンター積み」といい、ニクブク(むしろ)を乾かす作業に便利なように工夫されていました。
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識名宮から50mくらいの近いところのある「食堂ざっくばらん」。本日の日替わりランチ「カツオのしょうが焼き 650円」が美味しそうに感じたので、入ってみました。
この日の日替わりランチ「カツオの生姜焼き」は沖縄そばに、ゴーヤーとなすの天ぷら、サラダ、珈琲が付いて650円。中々良い味でしたよ。火、木は魚メイン、月、水、金、土は肉メインだそうです。識名宮に行くならこちらでご飯を食べたらいかがですか。
住所:那覇市繁多川4丁目1−1
定休日:日曜日