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重要文化財の津嘉山酒造所、戦後は米軍宿舎だった!

重要文化財の津嘉山酒造所、戦後は米軍宿舎だった!

沖縄の泡盛酒造所は沖縄戦においてほぼ壊滅。そのために、1948年前後に創業した泡盛酒造所が多い。戦前創業になっている酒造所も一度は壊滅して、復活してきている。その中で、沖縄戦の戦禍を唯一逃れた酒造所が名護にある「津嘉山酒造所」。現在、津嘉山酒造所保存の会が中心になって、3億7千万円の予算で7年越しの修復工事中です。戦禍を逃れたことで、古い建物が重要文化財に指定されることになった。これが修復工事を行う前の津嘉山酒造所。

2018年6月修復工事が完了しました。津嘉山酒造所は元の建物を活かしながら、復活しました。最後に今の姿をご覧ください。

【重要文化財、津嘉山酒造所の修復前】

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今にも倒れそうな建物ですが、この中で泡盛造りが行われていました。奥の方に見える新しい赤瓦屋根の建物は、現在、泡盛造りを行う酒造所部分。一足先に新築され、泡盛造りが行われています。

【修復工事途中】

下の写真で見られるように、現在はここまで修復されてきました。あと1年くらいはかかるでしょう。上の屋根は作業用の屋根で、完成すれば取り払われます。このような工事中でも、見学はできますので、近くに行かれたら立ち寄ってください。(2016年10月13日現在)

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【津嘉山酒造所がなぜ、戦禍を逃れたか】

重要文化財に指定されたことで、勝手に建て直しや修復作業をすることができない。建物がなぜ、戦火を逃れることができたのか。

津嘉山酒造さんを見学すると、このような古い写真を見せてくれました。

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建物があるのが津嘉山酒造所、周りは何もないですね。米軍は、この津嘉山酒造所をわざと残して、周りに空爆をかけています。事前に空撮をして、爆弾を落とすところ、建物を残すところを決めていたのです。なぜって、その結果、このようになりました。

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「OFFICERS QUARTERS(将校の宿舎)」 

米軍が駐留するためには、残しておかないと駐留する場所がありません。勝てるわけ有りませんね。
この梁の部分は、新しくなっても同じ場所で復元されるためにすでに組まれていて、その写真です。工場部分はパン工場として機能されておりました。

この修復工事、柱や梁はもともとあったものを一つ一つ解体して、同じように組み直していきます。そのために、それぞれにわかるように書かれています。

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さて、ここは酒造所。泡盛を造っています。製造量の少ない小さな蔵元さんなので、あまり知られていないかもしれませんが、「国華(こっか)」という銘柄を出しています。2013年には泡盛業界最高の県知事賞を受賞している蔵元さんです。実はこのラベル、インクジェットで作っている手製ラベルです。小さな蔵元さんらしいですね。

同じ名護市に沖縄高専があり、ここの卒業記念に毎年学生がやってきて、泡盛造りを行います。酵母を変えたりしながら作りますので、毎年の味わいが違います。高専生が作った泡盛なので『香仙』という銘柄です。市販もされていますので、是非、機会があれば味わってみてください。

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【修復工事完成】

写真は2018年6月29日です。完成式典前日の姿です。見事な黒木が再び姿を見せ、赤瓦がま新しくまぶしい感じです。

完成式典のため、これまでの写真パネルが展示されています。

見学も出来ますので、名護を訪れた際は、酒造所としての一面と重要文化財の建物をぜひ見学してください。

津嘉山酒造所のホームページはこちらです。

住所:沖縄県名護市大中1-14-6

 

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