沖縄・那覇市には、十二支の干支にちなんで、「首里十二支詣り」「テラマーイ(寺参り)」と呼ばれる、琉球王国時代から続く参拝方法があります。慈眼院(じげんいん)、安国寺、西来院(さいらいいん)、盛光寺の4つのお寺には、それぞれの干支の神様が祀られています。4つのお寺を巡りながら首里散歩を楽しんでみませんか?
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那覇には、十二支の干支にちなんで、「首里十二支詣り」や「テラマーイ(寺参り)」と呼ばれる、琉球王国時代から続く参拝方法があります。首里にある4カ所の寺院に祭られている十二支の守り本尊を巡拝し、日々の感謝を伝えて、健康や開運を祈願します。巡る順番は特に決まっていませんが、慈眼院から『⼦、丑、寅…』と干支の順番で回るのが⼀般的だそうです。今回は、干支の順番で巡ってみました。
首里山川にある「慈眼院」。首里城を思わせる朱色の本堂が目を引きます。慈眼院というと聞きなれませんが、首里観音堂という名前は聞いたことがあるのではないでしょうか?首里観音堂は、1618年に建立され、正式名称は慈眼院です。
1645年より毎年、琉球王国国王が国の安全を祈願・参拝するようになりました。また、当時、琉球王国は貿易(航海)が国の中心であり、首里の萬歳嶺という丘からは視界が開け、那覇の町・港・海・空を一望でき、渡航の安全・国の安全を祈願するのに最良な地でした。すべての人を守り、すべての人を救い、願いを叶える千手観音菩薩像をお祀りし、国王はすべての祈願をしていたそうです。
「旅の出じ発ち 観音堂 先手観音 伏せ拝でぃ 黄金酌取てぃ立ち別る(歌意:旅発ちには、首里の観音堂で先手観音を拝んで 黄金の酌を交わして立ち別れる)」と流歌「上り口説(ぬぶいくどぅち)」で歌われ、名前が広く知れ渡ったことにより「首里観音堂」という名前で親しまれるようになりました。
首里観音堂で祀られている干支は
・千手観音(せんじゅかんのん) … 子(ね)
・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) … 丑・寅(うし・とら)
・勢至菩薩(せいしぼさつ) … 午(うま)
・普賢菩薩(ふげんぼさつ) … 巳(み)
公式サイトでは、美しい仏像の写真をご覧になることができますので、ぜひご自身の干支の仏像をご覧ください。
住所: 那覇市首里山川町3-1
首里寒川町にあり安國寺の歴史は古く、創建は琉球王国尚泰久王時代まで遡ります。天順元年(1457年)に臨済宗妙心寺派の寺院として首里の地に創建され、沖縄の古都首里で現在までの550年余りにわたり首里の寺として続き、2009年に本堂を再建落成しました。寺院建築では沖縄史上最大の建築であり、木造建築としては首里城に次ぐそうです。御本尊は南無大聖不動明王。
琉球石灰岩の山門は、上層には梵鐘がさげられ左右には仁王様が立っている、立派な鐘楼門。沖縄最大の寺院建築が見られます。
安國寺で祀られている干支は
・不動明王(ふどうみょうおう) … 酉(とり)
住所: 那覇市首里寒川町1-2
首里赤田町にある安産祈願で有名な「西来院」。こちらも「達磨寺(だるまでら)」の方が聞きなれているお寺です。
西来院は、臨済宗妙心寺派の寺院です。開山は菊隠宗意。山号は達磨峰、寺号は達磨寺。1573~1619年に建立されたとされていますが、実際の建立時期はそれよりも前で、観音菩薩を本尊とする寺院でした。建立当初は那覇市儀保町にありましたが、明治時代に現在の地に移され、沖縄戦で消失してしまいましたが、すぐに再建されました。
西来院で祀られている干支は
・文殊菩薩(もんじゅぼさつ) … 卯(う=うさぎ)
・阿弥陀如来(あみだにょらい) … 戌・亥(いぬ・い)
二階には上記写真のような達磨を撫でながら開運祈願ができる「なでだるま」や、10~20㎏程度の石を持つことが出来ると願いが叶うというなかなかユニークなものがあります。天井にある龍の天井絵も見応えがありますよ。
住所: 那覇市首里赤田町1-5-1
那覇市首里儀保町、ゆいレール儀保駅近くにある臨済宗妙心寺派の寺院です。未・申の守り本堂である大日如来が祭られています。
盛光寺で祀られている干支は
・大日如来(だいにちにょらい) … 未・申(ひつじ・さる)
1868年には那覇市の久米町にありましたが、明治の後期頃に現在の場所に移転しました。戦後に再建され、現在に至ります。以前は寺内で「のまんじゅう」が売られていたんだそう。
ちなみにのまんじゅうとは、沖縄県の郷土菓子で、白い皮に食紅で「の」の字を書いた餡入りの饅頭。のまんじゅうやのーまんじゅうと呼ばれ、「の」は「のし」の略で祝い菓子として古くから親しまれています。
沖縄の名物三大まんじゅうは100年以上の老舗!ほっかほかを食べてみた!の記事はコチラです。
住所: 那覇市首里儀保町3-19