琉球古武道は、禁武政策下の琉球(沖縄)で独自の発展をとげた武器を用いた武器術。その琉球古武道を久米島で体験できるとのことで参加してきました。アクション映画や漫画では、ヌンチャクやサイなど見たことはありますが、実際に道具を見るのも、やってるのを見るのも初めてです。
目次
久米島に到着し、ホテルにチェックインしに行くと、ちょうど久米島町文化協会の方が道着を届けてくれたところでした。
道着に着替えると、ちょっと引き締まった気持ちになります。
向かう先は、久米島町奥武島の畳石です。
初めての琉球古武道にドキドキ、わくわく、でも何をやるのか、全くわからないほどの初心者です。
畳石に到着すると、吉本景正先生が待っていらっしゃいました。
香港映画に出てくるアクションスターのようです。
まずは、琉球古武道の歴史と武具の種類のレクチャーを受けます。
琉球古武道とは、棒、サイ、ヌンチャクやトンファーなどを使って型を修練する、沖縄古来の武器術です。
元々は王を守るためのもので、日用品や農耕具を使って作られた武器のようです。
14世紀頃、沖縄(琉球)では各地に城(グスク)を構えた三人の王が並立する時代が約100年続き、南部の南山(大里)、北部の北山(今帰仁)、中部の中山(玉城)からなり、この時代は「三山時代」と言われています。
15世紀初頭には尚巴志(しょう はし)によって統一され、後に琉球王国第二尚氏王統の第3代国王 尚真王(しょう しんおう)は反戦平和を愛し、刀剣・弓矢の個人私有禁止、政治の中央集権化、貿易振興、芸術奨励が行われ、個人での武器私有が禁止になり、このころから武士階級においては自己防衛のために日常の生活民具、農耕具を武器化するようになったようです。
武具の種類はたくさんあります。
樫などの堅い素材で出来た「棒」、インド伝来の仏具が由来の「サイ」、馬のくつわとして使われていた「ヌンチャク」、馬の蹄が元の「鉄甲」、石臼の柄「トンファー」、ティンベー&ローチン(鉾と手槍)、唯一刃がついた武具の「鎌」、小舟を漕ぐときに使うオールの「エーク」
今回の体験で使う武具は、棒とサイとヌンチャクです。
まずは棒を使った型をやります。
棒は、単純な形状ではありますが、剣と違い刃物がないため、付く、薙ぐ、払う、打つなど、千変万化の攻防が可能となる、万能の武器でもあります。
なので、棒をまず第一に練習し、基本の技を習得するところから始めます。
棒術は世界中に存在しますが、沖縄の棒術は、歴史的には北方と南方から伝わった技が沖縄にもともとあったものと融合し、棒術体系として洗練、完成されたものだそうです。
次に習ったのは「サイ」です。
サイの技法には、「受ける」「打つ」「突く」「掛ける」「突き刺す」などがあり、沖縄で成立したサイの術には、護身・捕縛用の動作が多いようです。
これは、琉球王朝で大築(うふちく)と呼ばれる警察組織が、腰にさして携帯していた武器にも関係しているものと思われ、またその形状と同じ本土の武器である江戸時代に岡っ引きが携帯していた十手にも共通の役割があるようです。
そして「ヌンチャク」です。
これぞ、カンフー映画に出てくるシーンを思い出し、速攻で次から次へとヌンチャクを振り回すものだと思い込んでたら、大間違いでした。次々と早く振り回せばいいものではなく、これはすべての武具に共通することですが、「相手をよく見て、的確な判断をし、行動に移す」。特にヌンチャクは、自ら攻撃的に使う物ではなく、受けから始まり、暴漢者や多数の相手から身を守るために、護身用として携帯する武器だったそうです。
やられてみて一番効いたのは、ヌンチャクの片方をぐるっと回し、腕を絞められた時。痛さで身動きができなくなりました。
相手の武器や動作で、こちらの次の動きも変わります。
常に集中だったせいか、終わった後には、身体的な疲れだけでなく、精神集中の疲労感もありましたが、不思議とすっきりとした爽快感、達成感があります。
最後に板を割る空手もやらせていただきました。
え、私に割れるの?と心配しましたが、
先生のように、優しい板でした。
ありがとうございます。
武器を使うとなると攻撃だけのイメージがありますが、武器を使い守るということも今回学びました。
そして琉球古武道の武器術は、古来武道の達人たちが、それぞれ型を考え、その型に基づき修練し、長い年月をかけて磨かれ伝承された型なのだと思うとすべての動作の意義がつながりました。
これは日々続けていくものなんですね。
ほんの3時間弱でしたが、久米島の真謝出身、平良信賢先生によって伝えられた琉球古武道を、同じ久米島の地で学べたことはとても貴重な経験でした。
住所:久米島町字大田584-1 久米島町老人福祉センター内
電話:098-985-5221
久米島町文化協会のFacebookページはこちらです。
体験レポーター:青木さなえ・MAYA