首里城は今、復興に向けて日々変化しています。首里城正殿の再建のため、巨大な素屋根の中で正殿建築が着々と進んでいます。そして、2025年秋には素屋根が解体されて、正殿が姿を表し、2026年秋には完成します。消失前の写真をまじえながら、現在の首里城の様子をレポートしてありますので、首里城復興に向けて確実に進んでいる現在の様子をご覧ください。
目次
首里城正殿の建設工事は建物の中で行われています。その仮設の建物が素屋根です。
この壁面に描かれている正殿は、ほぼ原寸大の首里城正殿です。この素屋根の中で着々と建築が進んでいます。
首里城正殿は3層からなっています。素屋根の見学エリアも3層になっていて、違う角度から、復元工事中の姿が見られます。階段とエレベーターが設置されています。この見学エリアも素屋根解体に向けて2025年6月中に閉鎖される予定です。間近に見られるのも今のうちです。
撮影:2025年4月11日
約6万枚の赤瓦が取り付けられ、龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)の設置作業が進んでいるのがわかります。この設置は、2025年夏前まで行われます。
首里城が最初に建てられたのは、尚巴志が1429年三山を統一して、首里城を拠点にした琉球王国を設立したことから、15世紀前半と推定されています。
その後、1453年に王位継承を巡り起こった「志盧(しろ)布里(ふり)の乱」で炎上、1660年、1709年に失火のため焼失、1945年沖縄戦により壊滅します。そして、2019年10月31日の火災が5度目になります。
当初、首里城は板葺きでした。1660年の焼失後、再建された首里城から瓦葺きになります。この頃の瓦は灰色です。
1709年の3度目焼失により再建された首里城の瓦は、赤瓦になります。これには、琉球の人口問題がありました。この頃、琉球の人口は20万人(ちなみに現在の沖縄県人口は146万人)になっており、その100年前は10万人でした。
この頃は、薪が燃料として使われており、人口が倍増するとその薪の消費も多くなります。薪の消費量を節約する必要がでてきました。瓦を焼くのに灰色瓦と比べ、赤瓦が低温で焼けるのです。
龍頭棟飾は、左右正面の3カ所にあります。長さ3.4m、重さ1t以上の龍頭がにらみ合っています。この龍頭棟飾は、平成の復元時から携わる陶芸家や彫刻家達のほか、壺屋焼の陶工たちと後継者育成の目的を持ち県立芸大卒業生など若手10人を加えた職人15人で製作に当たっています。
巨大な龍頭棟飾を製作するために、1体当たり200ピース以上をパズルのように組み合わせて作ります。3体あるわけですから600ピース以上、それに予備も焼き上げておくので全部で約1000ピースになります。
今回の首里城復興では、数々の専門家から指摘の上で、変更点があります。そのうちの一つが、この龍の目です。これまで、青い目をしていましたが、目玉が白くなります。
また、県産材料にこだわり、恩納村で採れた2種の土をブレンドして作られています。
1年ちょっと前の状況です。ここは3階の大屋根部分。3階は通気のためにもうけられた屋根裏部屋があります。工事が完成したら、この至近距離では見られないですね。
撮影:2025年4月11日
2階部分にも赤瓦が取り付けられています。2階は大庫理(うふぐい)と呼ばれ、国王や親族、女官達が儀式を行う場でした。国王が座る王座の御差床(うさすか)のある2階部分です。御差床は1階にもあります。
国王の玉座として、様々な行事や祝宴が行われた場所です。「中山世土(ちゅうざんせいど)」とは、琉球王国が中山(琉球)を代々治めていくという意味です。
この扁額は令和の復元で、新たに確認された史資料等から得られる知見を整理して、黄色に変更になります。
この御差床の正面の部屋は「唐玻豊(からはふ)」と呼ばれ、国王が座る椅子が置かれています。この目の扉を開けると・・・
赤丸の部分の扉になります。正月の儀式や中国皇帝へ親書を送る際に、諸官達と儀式をとり行った重要な場所です。
撮影:2024年3月18日
1年前の別角度から撮った写真です。
撮影:2025年4月11日
正殿1階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。
約1年前、1階部分の別角度の写真です。
1階にも御差床(うさすか)があります。背後の障子を開けると国王専用の階段があり、2階の御差床に出御していました。両脇の朱柱には、金の龍と五色の雲が描かれ格式を持たせています。
約70名の宮大工達の仕事も終わりました。3分の1が30歳以下で次代に技術を継承していくことも同時に行われていました。
そして、漆塗り作業に入っています。これにより見事な赤い外壁が見られるようになります。漆塗りも県産材料にこだわり、平成の復元とは少し違った琉球本来の赤色になる予定です。
原寸場にもガラス張りの見学スペースがありましたが、作業終了したので、現在は閉鎖されています。
原寸大の図面を書いている姿が、見ることが出来るようになっていました。
原寸場をガラス越しに見ました。彫刻の段取りをしているのがわかりますね。
火災前の首里城正殿です。大龍柱が向き合っているのがわかります。今の計画では、同じように相対する向きになるように進められていますが、市民団体から指摘を受け、正面を向かせようとする動きがあります。
もともと大龍柱は正面を向いていたのですが、1928年(昭和3年)の正殿修復の際、相対向きに変更になります。これは狛犬が向き合っていることから、日本化を進める説があります。
首里城正殿前に向き合ってっていた大龍柱。火災に遭っても倒れずに残っていました。それでもひび割れなど損傷が激しく、修復作業を行っていました。この大龍柱は新たに製作するための見本となり、歴史的遺物として展示されていく予定です。
正殿正面にあった大龍柱は、下之御庭のこの補修展示室におかれています。
首里城ぐるっと60分ツアーに参加したところ、大龍柱の補修展示室の中に入らせてもらえました。
毎日開催!首里城60分ぐるっとガイドツアーに参加しませんか?の記事はコチラです。
公開は2022年5月22日までで終了しました。
公開されていた首里城の遺構は、実はほんの一部であって、壁側(右側)の基壇が第二期の基壇が15世紀の第一尚氏時代のもので、写真中央の基壇がそのあとに出来た第三期の基壇です。さらに左へ(奉神門側へ)第四期、第五期、第六期、第七期と公開されていない基壇があります。次第に西側に規模を大きくしていった証拠です。少なくとも7回の建て替えが考えられています。第二期の基壇には当時起きた火災のあとが見受けられます。
この遺構は、首里城正殿の工事が終わると、再度以前より広く公開されます。
これは右掖門(うえきもん)から下った石垣に多く見られます。遺構の石積と復元したものの境目がよくわかります。
こちらは歓会門近くの石積みです。遺構部分と、復元部分がはっきりわかりますね。
世誇殿は大型スクリーンで首里城の解説をしています。休憩室も兼ねた場所で、自動販売機があります。元々、未婚の王女の居室で、国王が亡くなると次期国王の即位の儀式が行われた場所です。
世誇殿の中には4K18面のモニターが設置されていて、首里城の歴史や遺構の解説などの映像が流されています。
首里城復興展示室は2020年10月に作られました。トイレはコチラにあります。
火災前まで奉神門の屋根に実際にあった屋根瓦です。
これも実際に正殿にあった獅子瓦です。先端の四カ所(前面・後面)にあった獅子の飾瓦の一部。
東のアザナから見た世誇殿や女官居室、その向こうには奉神門がありますが、素屋根・木材倉庫・加工場で見えなくなりましたね。首里城の中では標高140mと一番高いところにあり360度景観が楽しめる場所でもあります。城壁の曲線美とあわせて楽しんでください。
現在のところ、2026年中に正殿が完成する予定です。その後、北殿、南殿、書院や鎖之間などの工事に入ります。どこから着手していくのか、最終的に全てが完成する予定は発表されていませんが、20~30年かかるかもしれませんね。
琉球王国の歴史がよくわかる首里城の無料ガイドツアーに参加してきました!の記事はコチラです。
首里城が焼失する前は、大人800円でした。再建中の現在は、半額になっています。
正殿遺構、世誇殿(よほこりでん)、東(あがり)のアザナのある場所が有料区域になります。大人400円、高校生300円、小中学生160円と以前の約半額で見学することが出来ます。今まで通りで良いから、復興に向けた募金に充当するなんてこともありではないでしょうか。
2025年度版新デザインです。1年間何度でも有料区域に入ることが出来ます。また、園内の売店やレストランで割引がききます。抽選で商品券が当たるチャンスもありです。
裏面には、写真、名前、QRコードなどが入ります。写真を撮ってもらって、少し待つだけで、すぐに発行してくれます。年間パスポートは800円ですし、2回で元が取れるので、何度も足を運ぶのもいいですね。
WEB申し込みも出来て、受取日を指定できるので、事前申し込みしておくのもいいですね。
守礼門、園比屋武御獄石門、首里杜館広場は時間に関係なく開いています。歓会門から先は、夜は閉まっています。歓会門の開門は8:00、閉門は19:30。奉神門の御開門は、8時半(8:25からガイドの案内がある。)、閉門は19:00。首里杜館は8:00~閉館時間は季節のよって異なります。(4月から6月、10,11月は19:30)
御鎖之間(おさすのま)で行われていた呈茶サービスは、券売所がある下之御庭の系図座・用物座で提供されています。また、ここは無料休憩所でもあるので、気軽に利用してください。
花ぼうる(左)、くんぺん(右)、ちんすこう(まん中の上)、冬瓜漬(まん中の下)などの琉球王国時代の宮廷菓子4品とさんぴん茶がついて800円です。
花ぼうるは、生地を長方形にのばし、切り込みを入れて形を作り焼いたものです。江戸でも食されていましたが、このような綺麗な切り込みは沖縄にしか見られません。
くんぺんは、冊封使を歓待する際に使われた格調高い御菓子です。今では、日常でも食べられ、法事にもよく使われます。
ちんすこうは、今や沖縄を代表する菓子になりましたが、琉球王朝時代は菊の花の形をしていましたが、食べやすく細長い形に変わりました。また、ギザギザの形は戦後、米軍の金型を利用したため、このようになりました。
冬瓜漬は野菜の冬瓜が原料になっている菓子で、元は中国から伝わったものです。琉球王朝時代は、薩摩藩主の会食にだされたりしていましたが、明治以降は一般にも食べられるようになりました。
毎朝8時25分から、御開門の儀式が行われます。ドラの響きと「うーけーじょー」の声で、門が開きます。門番の方たちと記念写真も撮れますので、ご一緒にいかがですか? 一番乗りもいいもんですよ。
御開門式の前に首里城についての説明があります。奉神門の瓦の葺き替えも終えて首里城の復興も一歩一歩進んで来ていますね。
首里城で毎朝行われる御開門式、うけーじょー!の記事はコチラです。
2025年4月からライトアップがリニューアルされています。ライトアップは深夜帯には周辺の環境に配慮し、明るさを自動で調整することで日没後から日の出時まで楽しめるようになりました。これまで下から照らす照明が主でしたが、高い位置から全体を照らす投光器も取り入れられました。今回のリニューアルは第1期で、第2期では龍譚池などの整備をする予定です。
(1)8:15 (2)9:15 (3)16:00 毎日開催しています。
令和8年(2026年)の首里城正殿復元に向けて復興が進められている様子を中心に見学するツアー
時間 16:00~17:00 (60分程度)
受付 15:45 定員:10名
受付・首里杜館⇒ 守礼門⇒ 歓会門⇒ 大龍柱補修展示室⇒ 木材倉庫・加工場・原寸場⇒ 世誇殿
階段や段差が少なく、比較的ゆったりとまわれるツアー
※参加者との相談で選択するコースになります。
受付・首里杜館⇒ 守礼門⇒木曳門⇒西のアザナ⇒大龍柱補修展示室⇒ 木材倉庫・加工場・原寸場⇒ 世誇殿
沖縄の移動手段はレンタカーなしでも楽しめる!!の記事はコチラです。
日本100名城・首里城へ道「上の毛」は城壁マニアにおすすめの記事はコチラです。
首里杜館1階の休憩所に設置されたストリートピアノ。毎日10時から17時、首里城の復興を願って誰もが自由に演奏することが出来ます。琉球手まり保存会の宮城玲子代表が首里城復興に役立たせて欲しいと寄贈されたものです。
ピアノに描かれたリスとブドウの絵は、沖縄県立芸術大学の学生によって、琉球漆器の技法で加飾されました。たわわに実ったぶどうと、子をたくさん産むとされたリスは「多産多福」の象徴です。
首里城復興祈願として泡盛の一石甕が寄贈されました。2022年12月17日に、全45泡盛酒造所の1升瓶×2本が一石甕の中に入れられており、一石甕、泡盛、甕の蓋を覆う紅型、琉球石灰岩製の台座は県内4社の企業によって寄贈されました。
2026年正殿が完成する際に振る舞い酒とされるとのことです。
「御城印」は、首里城の他、勝連城、今帰仁城、中城、座喜味城の5つの城で販売されています。
首里城に関する書籍や資料は販売されています。
首里城記念メダルセット。
シーサーの置物。
琉柄キャップはかっこいいですね。
トートバックや首里城Tシャツなど。
是非、チャレンジしてもらいたいペーパークラフト。首里城に関するお土産だけでも見ていて飽きないですよ。
★首里城復興に向け観光エリア拡大、御開門の儀式も復活!の記事はコチラです。