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浦添城跡と浦添ようどれ(陵墓)琉球王国設立前のグスクを歩いてみた!

浦添城跡と浦添ようどれ(陵墓)琉球王国設立前のグスクを歩いてみた!

浦添城跡は、琉球王国(1429-1879)が誕生する前、三山時代と呼ばれているころの中山(ちゅうざん)の城跡です。中山が、北山、南山を吸収して琉球王国になったわけですから、琉球王国の原点がここにあるといってもいい場所です。英祖王と尚寧王が眠る浦添ようどれもココにあります。また、前田高地と言って沖縄戦が繰り広げられた場所でもあります。

ゆいレール浦添前田駅方面から

浦添大公園南エントランスから浦添城跡に入っていきましょう。この道は首里城につながる石畳道があった場所で、写真で見られる上部の方に一部残されています。

ゆいレール浦添前田駅から近い浦添城

石畳を上がりきったところから見たゆいレールで、写真やや左が浦添前田駅になります。ちょうど「浦添城の前の碑」が立つ場所からの撮影です。

非常にわかりやすい散策マップが掲示されていました。

浦添城の前の碑

石畳を整備した際の竣工記念碑です。表は写真のようにひらがなの琉球文で、裏は漢文で書かれています。尚寧王の命で国民が力を合わせて石を積み道路を作ったと記されています。

浦添城の石畳道

これがその石畳です。1597年に首里城と浦添城を結ぶ道として整備されました。今は浦添ようどれに眠る第二尚氏七代目尚寧王が整備しました。

浦添城跡の歴史を探る

前田高地 ハクソー・リッジ

浦添城と言っても、こちらから入るとお城らしくは感じません。このように芝生の広場が広がっています。沖縄戦の際には「前田高地」(米軍からはハクソー・リッジ)と呼ばれた場所で、約3週間、11回にわたり米軍と日本軍が戦った場所です。

米軍攻撃正面となる北側は、険しい断崖である上、頂上まで登り詰めた米軍に日本軍が猛烈な攻撃を浴びせる戦術をとったため多くの負傷兵がでました。

信教上の理由から武器を持たない衛生兵デズモンド・ドスは多くの負傷兵の命を救ったため、後に名誉勲章を授けられました。

ワカリジー

ワカリジーは浦添城跡の東端に屹立する岩で、頂上の標高は148mで、浦添市で一番高い地点になります。「為朝岩」とも言われています。ワカリジーは英祖王と女神職ウシンキンベーの間に生まれたイソノシー(伊祖の子)をまつった場所です。

米軍からは「ニードルロック(針のような岩)」と呼ばれ、争奪戦が繰り広げられました。

前田高地平和の碑

第32連隊第2大隊は志村大尉を大隊長とする部隊で、前田高地を確保するように命令を受けます。ワカリジー方面で戦闘を繰り広げますが、夜間攻撃のために派遣した中隊が全滅するなどおおきな被害を受けました。

ディークガマ

ディークガマは浦添城にある御獄

その一角にあった「ディーグガマ」です。元々鍾乳洞があった場所が陥没してできた御獄(うたき)です。デイゴの木があった洞穴が名前の由来です。戦後は戦没者の遺骨をおさめましたが、現在は糸満市摩文仁に移されています。洞穴の中は陥没の恐れがあるので、入ることはできません。

浦添城の城壁

少し、下ると城壁が見えてきました。この城壁を逆側から見ると・・・

沖縄戦の際には壊滅的な状態でしたが、戦後少しずつ復元していき、現在の姿を見ることができます。琉球王国をはじめとする沖縄の歴史を語るときに、重要な位置にあった場所ですから、是非訪れていただきたい場所です。

「うらおそい」と書かれたTシャツを着たガイドさんがいたので尋ねると、「うらそえ」の語源になっていて、「津々浦々を襲う、支配する」の意味があるそうです。中山は舜天、英祖、察度の王統の居城であり、琉球王尚巴志は中山王から三山を統一して首里城に拠点を移しています。察度王の時代に、冊封を受け中国と交易を初めたのも中山からなのです。まさに勢力を持つ都市として「浦添」があり、「うらおそい」という言葉が出てきたものかと考えられます。

伊波普猷の墓

伊波普猷の墓は浦添城跡にあります。

伊波普猷(1876-1947)は那覇市出身の民俗学者で、沖縄学の父と呼ばれた人。「彼ほど沖縄を愛し、憂えた人はいない」と顕彰碑に書かれていて、沖縄の良さを知り尽くし、戦争で米軍に占領された沖縄の将来を案じた方です。現在の京大と東大で言語学を学び、東大在学時に浦添が沖縄の古都であったことを論文にするなどして、故郷に帰ったから県立図書館の館長もつとめていました。

浦添ようどれは国王の墓

浦添ようどれは国王の墓

第2尚氏7代目琉球王の尚寧王(向かって左)と英祖王(向かって右)が眠る陵墓です。尚寧王がなぜ玉陵でないのか、疑問も出てくるところですが、「ようどれ」とは「夕凪(ユードゥリ)」のことで、安らかに眠るようにという意味から「墓」を意味するようになりました。

世界遺産「玉陵」は国宝に答申された第二尚氏王統の陵墓!の記事はこちらです。

階段を降りていくと陵墓の前まで行くことが出来ます。

「なーか御門(うじょう)」と呼ばれるアーチ門をくぐると二人の王の陵墓があります。

西室の英祖王陵です。英祖王は1260年から99年まで在位しました。

こちらは東室の尚寧王陵です。第二尚氏七代目琉球王国王1589年~1620年在位。最初に書いた石畳道を築いた王です。

現地に建っていた案内看板です。こう見るとわかりやすいですね。

浦添グスク・ようどれ館

浦添グスク・ようどれ館。9:00~17:00開館。入場料は大人100円、小中学生50円。月曜日と年末年始休業。

浦添グスクとようどれに関する資料の展示がされています。

浦添グスク・ようどれ館には、浦添ようどれの内部を実物大で再現しています。写真は厨子と呼ばれる、いわゆる骨壺です。この中に王が眠っていることになります。

浦添グスク・ようどれ館の利用案内はコチラをご覧下さい。

当山の石畳道

浦添八景の一つ「当山の石畳道」を下っていきます。普天間宮に続く国王の参詣道でありました。

浦添城跡から普天間宮に続く石畳道

同じ位置から石畳道を見てみましょう。

浦添城の当山の石畳道

高低差があることがよくわかりますね。

浦添城跡の当山の石畳道

馬が転ぶほどの急な坂道になっているので「馬ドゥケーラシ(馬転ばし)」と呼ばれるほどです。下りの道を森林浴しながら散策するのも気分がいいものです。

浦添グスク周辺は、浦添大公園となっていて、歴史的な場所でもあり、自然豊かな場所でもあって、子供達の遊びとして遊具も揃っている場所です。また別の機会に他の場所はお伝えします。

浦添はヤクルトスワローズのキャンプ地です。すぐ隣にヤクルトが練習していたので、コチラの記事もお楽しみください。

プロ野球沖縄キャンプイン!浦添市のヤクルトキャンプ編の記事はこちらです。

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徳島県徳島市出身 20代の頃は旅行会社勤務、やがて飲食業に転じ、居酒屋経営。泡盛との出会いから沖縄に通うようになる。沖縄愛は次第に深みにはまり、東京泡盛会を沖縄県酒造組合と開催したり、東京でもいつもかりゆしウエアを着て、生活が沖縄化している。趣味はまち歩きと泡盛。

2019年4月4日公開、2019年12月19日更新、2026年4月23日更新

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